2016年6月6日【 ecec on sns

改めまして、園長の小嶋泰輔です。

 昨日ある保護者から保育園のことをもっと知りたいというご要望を戴きました。送迎時に担任と話をしたり、プリントでお知らせをもらう以外に、保育園の目指すところや今の現状、どんな理想や想いを持っているのかなど、もっと本質的な部分を聞きたいという内容でした。そう思う保護者は一人ではないとも言われていました。本当に嬉しいご要望だと有り難く受け止めました。そこで、今後こういった紙面で私の思うところをお伝えしていきたいと思い立ちました。お時間の許す時で結構ですので、お目通し頂ければ幸いです。
 第一回は僭越ながら私の自己紹介です。大切なお子様の大切な乳幼児期を託す保育園です。その園長の人となりを知って頂くことも無駄ではないかもしれません。
 私は1976年に福岡県大牟田市に生まれました。典型的なサラリーマン家庭で弟と妹の3人兄弟の長男でした。幼少期、私はかなりのいたずらっ子でした。幼稚園から小学校までまるでマンガの様ないいたずらを繰り返し、その度にきつく叱られていましたが、今はこのいたずら心が私に工夫する力や想像力を与えてくれたと思っています。園長になった今、いたずらをする子どもを叱る権利は私にはないと思っています。その後人並みの反抗期と人並みの思春期がありました。くだらない話ですが中高で何度か失恋を経験し、それをこじらせて文学や哲学にのめり込む様になります。そのまま勢い余って哲学部に進学しました。ストイックに哲学を深めるはずが、若気の至りで音楽活動や大学祭運営、塾講師のバイトに明け暮れて学生時代を終えました。卒業後は一般企業に就職し、営業マンとして8年間働きました。結婚し子ども二人授かりますが、深夜残業が常でした。その頃から次第に脱サラを意識にする様になります。社会人としてたくさんの人と出会い、人は生い立ちが大切で、特に乳幼児期の育ちが人生に大きな影響の与えるのではないかと考える様になりました。会社で売上成績を残したことをきっかけに32歳で会社を辞め、無謀にも自分で認可保育園を設立する計画に乗り出します。当然ながら見事に失敗し元手も失うことになります。しかし、保育への夢を捨てきれず、とある勉強会の門を叩きました。菊清会の理事長、伊藤直樹が役員を務める保育環境研究所ギビングツリーという団体です。修行に来いと菊清会に雇い入れて頂き、さくらしんまち保育園の副園長に就きました。私にとって保育園で働くこと、乳幼児教育に携わることは夢でしたから、今は夢の舞台で働いていることになります。
 今現在、さくらしんまち保育園はチャレンジングな状況にあります。私自身も山積みの課題を前に身の程を思い知る日々です。しかし私自身は不退転の覚悟です。なぜなら私は夢を生きているからです。これから少しずつさくらしんまち保育園の理想と現実についてお伝えして参りますが、まずは小生の経歴と決意をお知らせすることで所信(初心)表明に替えさせて頂きたいと思います。

以上

1 2