2016年6月17日【 ecec on sns 】
『鶴瓶の家族に乾杯』という番組をご存知でしょうか。あまりオンタイムでは見られませんが私の好きな番組の一つです。テーマソングはさだまさしの『Birthday』です。何度聞いても感動します。
先日、6月の誕生日会がありました。さくらしんまち保育園では毎月第三火曜に誕生日会を開催しています。誕生日会の式次第は司会の先生による導入があり、その月の誕生児の紹介があり、お歌のプレゼント、絵本のプレゼント、職員劇と続きます。自分が主役の誕生日会は年に1回ですから、それ以外の月はお友だちの誕生日をお祝いします。自分が心待ちにしている誕生日は他のお友だちにも同じ様に訪れることを感じ、自分の誕生日と同じ様にお祝いして欲しいと思います。少し大げさに言えば誕生日とはその人の存在を喜ぶ日です。お友だちの誕生日をお祝いすることで他人の存在を尊重する気持ちに繋がればと願っています。次に絵本のプレゼントですがこれは初代園長の伊藤里美先生が『一人ひとりを大切にする保育』の一環としてその子の発達や個性に合った絵本を担任が心を込めて選んで贈って欲しいという意味があります。もちろん絵本に親しんで欲しいという意図もあります。きっと寝る前にお家の方が絵本を読んで下さるのではないかと想像しながら絵本を選んでいます。誕生日会は合同ですが、一人ひとりの誕生日の当日には玄関に職員手作りの誕生日カードを飾っています。これも私たちなりの一人ひとりを大切にする保育の在り方です。
さて誕生日会のメインイベントは職員劇です。ご存知の通り冬にはリズム遊び発表会(お遊戯会)があります。一年を通して絵本に親しみ、職員の素話を楽しみ、劇団による本格的な劇を観たり、おままごとコーナーやリズム遊びの中でで何かになりきって遊んだり、色々な形で物語に触れ、豊かなストーリーの世界を楽しんでいます。実は誕生日会の職員劇も同じ目的で行っているのです。単なるエンターテイメントではなく職員が毎月楽しそうに劇遊びを披露することで、子ども達はたくさんの刺激を受けます。そして日頃の遊びの中で演じ合って遊びます。それが行事に繋がっていくのです。この様な理由で年に12回、毎月の職員劇は私たちなりに趣向を凝らしています。
そして第二のメインイベントがお誕生日メニューでの給食です。今度は給食の先生が腕によりをかけて楽しく美味しい給食を作ってくれます。魅力的な盛り付けや飾り付けを施したり、自分で好きな食材を選んで一手間加えることで自分好みの食べ方が出来たり、子ども達の食欲と感性を刺激するパーティーメニューです。お祝いの会食ですのでこの日はみんなで一緒にいただきますをする様にしています。
今回はさくらしんまち保育園ならではの誕生日にまつわる取り組みをご紹介致しました。
そして最後にもう一人お祝いとお礼を言わなくてはならない人がいます。
子どもを産んでくれて、あの子達を産んでくれてありがとうございます。
2016年6月16日【 ecec on sns 】
0.1.2歳の乳児が主ですが、子ども同士で遊ぶ中でかみつきやひっかきが起きることがあります。玩具や場所の取り合い、遊びや行動が邪魔された時や不意に密着した時など、シチュエーションは様々ですが突発的に手や口が出てしまいます。いかなる理由があろうと相手を傷つけることは良くないこととして、私たち職員はそれらを未然に止めるために常に気を配っています。しかし、それでも止めてあげることができずにかみつきやひっかきが起き、お迎えの際にお詫びすることがあります。その度に申し訳なく反省しております。
再発を防ぐため、玩具の数や空間の広さといった環境を見直すことはもちろん、活動に無理やストレスがなかったか振り返って考えます。どんな状況になるとそういう行動に出るのか、みんなで話し合っていくつかのパターンを抽出し、子どもの行動を予測することで未然に防ごうと試みます。怒った気持ちに共感しながらも、かみつきやひっかきは良くないことと根気強く伝えます。言葉で伝えられる子であれば、気持ちを言葉に置き換えて伝えることを教えていきます。私たちが作った環境で起きたことなので、かまれた子はもちろん、かんだ子にも謝罪の気持ちがありますので、かんだことを保護者にお伝えすることは控えさせて頂いております。ただしあまりにも頻発する様でしたらご報告させて頂いております。その理由はそれらの行動の裏に視力の問題や睡眠不足などの生活リズムの問題、満たされない気持ち、さらには発達上の問題があるかもしれないからです。
かみつきやひっかりをする子にも必ず理由があります。一人で集中して遊びたいという気持ちを叶えるためにそういった環境を用意することもありますし、気持ちを満たすためにじっくりと保育者が関わることもありますが、一人だけ集団から隔離する様なことだけはしたくありません。それは課題を避けているばかりか、友だちと一緒に遊ぶ楽しさも奪ってしまうからです。誤解を恐れずに言えば、避けるべきことですがかみつきやひっかきもコミュニケーションの一つであり、発達段階の一つです。
恥ずかしながら私は考え事をする時に人指し指の付け根を噛む癖が抜けきれません。大リーグの選手は試合中にガムを噛んでいます。古いお芝居で女性が白いハンカチの角をキィーッと噛んで悔しさを表現する仕草があります。人は噛むことで気持ちをリラックスさせようとするそうです。子どもの自制心は発展途上です。とっさにカッとなることもあります。子どもは攻撃のためだけにかみつくのでなく、高ぶった興奮状態を落ち着かせるためにかもうとするという研究もあるそうです。
玩具の取り合いも大切な学びの一つです。独占したい気持ちとシェアする気持ち、順番に使うことや一緒に遊ぶ楽しさを学んでいます。どれも一人では経験できない、子どもが子ども集団から学ぶ大切なことの一つです。子ども達はほとんどの時間楽しく遊んでいます。しかしその一方では喧嘩したり、取り合うこともあります。まれにかみつきやひっかきも起きてしまいます。これからも相手を傷つける様な関わりは問答無用で止めていきますが、そうなる過程にも発達的、教育的意味があることを忘れてはいけないと思います。
2016年6月15日【 ecec on sns 】
自分の子がよその子と違っていたら気になるのが親心です。子どもの個性を伸ばしてあげたい、自分らしく育って欲しいと願いつつも、個性的過ぎるのもどうかと感じてしまう部分もあるのではないでしょうか。私たちの中にはどうしてもみんなと一緒であることで安心する部分があります。それは日本の国民性と言ってもいいかもしれません。そして、良くも悪くもそれを支えてきたのは私たちが受けてきた日本の教育です。個性を伸ばす教育というよりみんなが平均点をとるための教育です。その中で私たちは意識的にも無意識的にも一緒じゃなきゃいけないという考えに偏りがちです。そういう風潮があるからこそ、アンチテーゼとして『世界に一つだけの花』という曲がヒットしたり『みんな違ってみんないい』という言葉が共感を呼んでいるのではないでしょうか。少しずつ人々の意識が変わってきているのかもしれません。
ではさくらしんまち保育園の子ども達に目を移してみましょう。ざっくりと見ればあまり大差ない様にみえても、一人ひとりを見てみると見事に個性的です。みんな素直で可愛いのですが、どんな子も一段一段、発達の課題をクリアしながら大きくなっていきます。ちゃんと課題があるという意味ではどの子もみんな問題を持った問題児と言えるかもしれません。全く問題がない子は全く成長しない子ということになります。特別な配慮が必要な子もいますが程度の差こそあれ配慮が必要ない子はいないのです。
私たちは『一人ひとりを大切にする保育』を目指しています。集団で遊ぶ際もその集団としての課題をねらいとして活動を計画します。もし集団に入れない子がいれば、その子が何につまづいているのか、その子が楽しめる様にするにはどうすればいいかと考えて工夫します。個別に声がけをしたり、その子にあった動機付けを試みたりします。時間的な猶予を設けたり、同年齢や異年齢と集団の属性や大きさを変えることも有効な手段です。その子のペースで、その子が上手くできるパターンで少しずつ進めていければいいと思っています。少なくともみんなと一緒じゃなきゃいけないとは考えません。みんなと一緒に楽しめることは理想かもしれませんが、それよりもその子が自分の距離感で心地よく集団と交われることの方が大切だと思います。帰属意識も大切ですし、組織や社会に貢献する気持ちも尊いものです。しかしこれから子ども達が生きていく社会は盲目的に集団に従う時代ではないと感じています。
『私は私、でも私はみんなの中の私。』これは伊藤理事長が私たち職員に贈ってくれた言葉です。
2016年6月14日【 ecec on sns 】
さくらしんまち保育園の保育室はどの部屋も玩具棚で区切られています。さえぎるものが何もない大広間の様な保育室はありません。これはコーナー保育やゾーン保育と呼ばれる保育環境です。絵本コーナーやブロックコーナー、手指遊びコーナーやパズルコーナー、おままごとコーナーに制作コーナーといった具合です。朝夕の送り迎えの時にコーナーで遊んでいる姿をよくご覧になると思います。子ども達はその時々で取り組みたい遊びを自分で選んで遊びます。それぞれのコーナーで遊んでいる様子をじっと見ていると、数十分間も集中して遊び続ける子どもが少なくないことに気づきます。見学に来た方に、集中して遊ぶ子が多いのは何か秘訣があるのですかと聞かれることがあります。その答えは至って簡単で、自分で遊びを選んでいるからです。もし玩具や教具がないお部屋で、先生がねんど遊びをしようと子どもに提案し、机と椅子を出し、ねんどの用意をしてねんど遊びを始めたとしても、そのうち数人が立ち歩いたり、ふざけ始めたりします。先生はその子に注意して、ねんど遊びを続けさせます。しかし、ここで気がつかなくてはならないことがあります。ねんど遊びからエスケープした子どもは最初からねんど遊びがやりたいとは言ってないのです。先生に言われたからやっているに過ぎないのです。今の貴重な乳幼児期の遊びを義務的、強制的にしてしまっては身につく巧緻性もつかなくなってしまいます。それより自分で選んだ遊びを思う存分楽しむ方がずっと発達が促されます。子どもにとって成長することは本能です。子どもが面白そうと感じて選んだ遊びは、その子の成長本能が選んだ遊びです。自発的、主体的に取り組みますから、おのずと集中し、おのずと発達に繋がります。やりたいことをやる方が生産的で効率的なのは私たち大人も同じです。
時にはやりたい遊びが見つからずお部屋をうろうろする子もいます。そんな時は職員が一緒に遊んで遊び方や楽しさを伝える様にしています。しかし場合によってはお部屋を出て行ってしまう子もいます。そんな時、私たち職員はお部屋を出てはいけませんと言うだけではなく、魅力的なコーナーの設定ができていないのではと反省します。玩具の難易度を上げ下げしたり、別の玩具を出したり、その子の発達に合ったコーナーになる様に工夫します。その子の発達にあってさえいれば、必ず集中して取り組むという確信があるからです。
また、自分が遊んだ玩具は自分で片付けるというルールもあります。子どもなので完璧にとはいきませんが、自分で選んだことだから自分で片付けるという意識付けは、給食で色々と選択し責任を持つことと同じです。
せっかく急いでお迎えに来たのに、え~早い~と子どもに文句を言われるとガックリするかもしれませんが、子どもがそう思える環境にいたと思えば、悪くないことかもしれません。
2016年6月10日【 ecec on sns 】
部活動先輩後輩の法則というものを聞いたことがあります。運動部の中には厳しい練習を課す所もあると思います。先輩から罵倒されたり、無茶な練習でしごかれたり、不条理な上下関係を強いられたりします。後輩への愛情で厳しい練習を乗り越えさせるだけならまだしも、不条理な上下関係を強いるのは愛情とは言えません。そんな恐い先輩がやっと卒業して代が変わったにも関わらず、その後輩は自分がされて嫌だった練習や上下関係を同じ様に後輩にさせてしまうです。その理由はこうです。自分が経験した厳しいシゴキによって今の自分が立派に存在しているのだと思ってしまうのです。先輩のおかげで今の自分があると先輩のやりようを美化してしまうのです。辛い過去を正当化することで傷ついた自分の心を癒そうとするのです。そして後輩をしいたげる文化が受け継がれてしまうというのがこの法則です。厳しい試練を与えなければ人は育たないというメンタリティーはこの法則に近いものがあると思います。
ご自身の人生を振り返って、困難な状況に陥ったり、壁にぶち当たったり、挫折したりした時あなたはどうやってそれを乗り越えましたか。あの厳しい先輩の顔を思い出しましたか。それとも辛い気持ちに共感し、自分を信じて励ましてくれた人のことを思い出しましたか。きっと後者だと思うのです。
人は誰かに厳しくされた経験を拠り所にして生きるのではなく、誰かに優しくされた経験を拠り所にして生きています。スパルタな指導、罵倒されながらの訓練を乗り越えたことが自信になるのではなく、自分の良心を信じてくれたこと、自分の努力を認めてくれたことを勇気に変えて生きていきます。もっといえば、誰かに愛された温もりや通じ合った喜びが前に進む力を与えてくれます。子どもが悲しい気分になるような状況を作るのではなく、幸せに感じる状況を積み重ねることが保育だと思います。さくらしんまち保育園では運動面でも音楽面でも文字や数でも、集団行動面でも、食事面でも訓練を押し付けることは避けています。仮に訓練と同じ内容だとしても、遊びの中で楽しく取り組めないかと考えます。柔軟に考えれば意外と遊びに転換できるものです。遊びや関わりの中で待つことや我慢すること、集団行動を学ぶことが理想です。
願わくば子ども達の心の中に楽しい経験や仲良しの友達、自分を信じてくれた大好きな先生のことを一杯詰め込んで卒園して欲しいと思っています。それが小学校やその先の人生でつまづいた時に力を与えてくれると思うからです。例え愛のムチだとしても、幼少期の暗く辛い思い出は将来を照らしてはくれません。
以上
2016年6月9日【 ecec on sns 】
ぽっぽぐみの赤ちゃんたちは食育とは無関係でしょうか。そんなことはありません。私たちの取り組みは離乳食から始まっています。通常、離乳食の段階は初期.中期.後期タンパク質有無.完了の5段階です。当園ではステップ1~8までの8段階としています。段数が多い程一つひとつの段差は低くなりますので、赤ちゃんがギャップを感じることも少なくなります。段階を上げる際まれに両方の段階の離乳食を用意することもあります。段階を行き来する余裕を持つためです。また赤ちゃんの課題に合わせて、食材の硬さや大きさを変えて咀嚼を促したり、手づかみ食べを促したりもします。赤ちゃんは生活リズムに差がありますので、離乳食の時間も個々で異なります。もし大人都合で離乳食を提供すれば、空腹で泣きぐずったり、空腹を通り越して眠くなったり、逆にお腹が空いてなくて食べなかったりと、大人にも赤ちゃんにも厳しい状況になってしまいます。離乳食は食べるタイミングが大切です。赤ちゃんが食べたいと思った時にスムーズに提供することが成功のカギを握っています。そのために当園では離乳食が10時00分には出来上がる様にしており、早く食べた方がいい子から順番に食べる様にしています。幼児さんが自分の食べたいタイミングでランチルームに向かうとご説明しましたが、赤ちゃんもその子が食べたいタイミングで食べるという点では同じなのです。
もし偏食の子がいたら、その子は何が苦手なのかを詳細に調べる様にしています。葉物が苦手だと言ってもそれがキャベツなのかほうれん草なのか、キャベツだとしたら根元に近い厚い部分なのか葉先に近い部分なのか、刻み方によっては食べられることがあるか、火の通し方、味付けによっては食べられることがあるか、できるだけ詳しく何が苦手なのかを突き詰めていきます。場合によっては午前中の活動量が不十分かも知れません。お家での朝食は何をどの位食べたか、睡眠時間はどうか、給食を食べる時間はその子に合っていたか、どの友だちと食べるかで影響はあるか、食具は発達に合っているか、などなど一口に偏食といってもその理由は多岐に渡ります。給食会議では給食を入り口に、生活、遊び、人間関係、その子の発達状況まで話が展開します。その意味では給食はその子の全てを表すといっても過言ではありません。給食会議と銘打っていますが、内容は『all about その子』に行き及びます。給食会議は私たちの子ども理解の要です。
面白いアプローチをご紹介します。2歳児クラスのランチルームは自分の食べる場所がシールで決まっています。2歳児の子どもの人間関係を担任が分析して、良い影響を与え合う子ども同士を近くに座らせます。野菜が苦手な子の前に野菜をもりもり食べる子を座らせたり、世話好きの子のとなりにお世話が必要な子を座らせたり、その時々の個々の課題を子ども同士の関わりの中でクリアできないかと試みるのです。さらに食事中にふざけてしまう子を頭ごなしに叱るだけではなく、1歳ランチルームに留学させて、年下の見本となり、たくさん褒められる経験をさせたり、逆に幼児のランチルームに留学させて刺激を受けさせることもあります。同年齢や異年齢の子どもとの関わりもの有効なアプローチの一つです。
さて、他の保育園でも食育の一環としてよく取り組まれているのが栽培活動です。幸運なことにさくらしんまち保育園のお隣りさんは農協さんです。栽培のプロ中のプロである農協さんに色々と教えて頂きながら、夏野菜の栽培やプランターでの稲作、いもやりんごなどの収穫体験に取り組んでいます。本当にお世話になっていますので、送り迎えの際に農協の方とすれ違いましたらご挨拶頂けると助かります。
以上
2016年6月8日【 ecec on sns 】
前回に引き続き、幼児クラスの食事環境について、その理念と実践をご紹介致します。
好きな時間に、好きな友だちと、好きな食べ物を、好きな分量で配膳するという、できるだけ子どもにとってストレスフリーな食事環境作りを目指しています。5人グループでランチルームに向かう部分では少しハードルもありますが、協調性が身につけば柔軟に対応できる様になります。また嫌いな食べ物を無理やり食べさせても余計嫌いになってしまうという信念に基づいています。そうして食卓についた子ども達ですが、その中にリーダーがおります。リーダーは5人グループを作った後に、ランチルームのテーブルが空いているかを確認したり、食卓についた後にテーブル上に置かれた時計の針を合わせたりする役割です。この時計については是非実物を手にとって頂きたいのですが、3つの針が食べ始めの時間とおかわり可能時間と食べ終わりの時間を指し示す様になっている時計の模型です。それぞれのテーブルで食べ始めの針を実際の時間に合わせることで、おかわり可能時間と食べ終わりの時間が指し示される様になっています。子どもが自分で目標を設定することを大切にしています。そうすることで子どもなりにその時間内に食べ終わろうとするのです。なぜそうするのかと子どもに聞いたところ、彼らは自分で決めた時間だからと答えます。子どもなりに自分で設定した目標は達成しようとするものです。
食事が始まれば、まずはみんな一心不乱に食べます。食べる順番はデザートを最後に食べるということだけがルールです。全て食べ終わりもっと食べたい子はおかわりにいきます。おかわりを目的に食べ進める子もいますが、最終的にはおかわりしなくても済む様に始めから多めにもらうことが目標です。それも自分の食べられる量の把握に繋がるからです。配膳の際に苦手なものは少な目にもらったり、極端な例では全くもらわなかったりするのですが、食事の際は職員も一緒に食べますので、楽しく美味しい雰囲気の中で苦手な食材もほんの少しだけ試す様に促すこともあります。ストレスフリーな状況であれば、その日の気分で触手が伸びるものです。それでも拒む様なら無理に食べさせずに他のアプローチを模索することになります。
最終的には自分で椅子と食器を片付けることになりますが、そこであまり残食がでないことが一つの特徴です。子どもになぜ食べ残さないのと聞けば、自分でとった分だからと答えてくれます。子どもなりに自分で色々と選択した食事に対して、責任感を持っていることは頼もしいことです。もし反対に全て大人が決めた環境で食事をさせるならば、子どもは先生や親に言われたからそうしなければならないという義務感だけで動いてしまいます。自分の空腹感や自分の味覚に従うのではなく、大人から強いられた義務感に従ってしまうと将来的に摂食障害になってしまうのではないかと心配になります。
そうして給食の時間が終わっていくのですが、職員の仕事はまだ続きます。毎週火曜日の午睡中の時間を使って給食会議というものがあります。その会議には担任はもちろん園長.主任.栄養士が参加して、一人ひとりの喫食状況を共有し、課題をどう克服していくかアプローチを検討します。裏面に実際の給食会議の資料を印刷していますのでご覧下さい。さくらしんまち保育園の全ての園児に対して、毎月同じ様な資料が作成されて話し合われています。特徴的な給食システムの裏にはこうして一人ひとりの子どもを見つめ、支える職員の個別配慮があるのです。
以上
2016年6月7日【 ecec on sns 】
TBSテレビの『あさチャン!』という番組から取材を受けました。6/6(月)7:40から放映される子どもの偏食をテーマにしたワンコーナーだそうです。少し映るだけだと思いますが宜しければご覧ください。さくらしんまち保育園は『給食』をとても大切にしています。今回はその理念と取り組みの一端をお伝えしたいと思います。
まずは給食の食材からです。集団給食において食材にこだわるには限界があります。しかし近所の八百屋さんやお肉屋さんなどから直接仕入れる様にしています。可能な限りトレーサビリティを確保するために顔が見える形での仕入れを心がけています。冷凍食品や出来合いのものを避け、手作りの温かいものを提供する様にしています。(乳児の午前おやつのみ既製品を使っています。)
次に調理についてです。調理方法にも様々な工夫があります。刻み方から火加減、味付けに至るまで栄養士は様々なノウハウを蓄積しており、そのレシピは書籍として出版される程です。また、保育園や小学校、老人介護施設などの給食室には通常、栄養士は1人だけで、あとは調理員という人員配置です。国や区の基準でもそうなっています。しかし、さくらしんまち保育園では給食室の職員全員が栄養士です。これはとても珍しい例です。
また、給食室の厨房はガラス張りで中がよく見える造りになっています。子どもの目線で調理の一部始終が見える様にするためです。午前中は園舎内に香りが立ち込め、調理過程を見て、聞いて、匂って感じることができます。お家の台所の様な厨房が理想です。
いよいよ給食の時間が近づいてきます。子どもの中には早く食べたい子もそうでない子もいます。なぜなら登園時間が違うからです。7時過ぎに来る子と9時過ぎに来る子は朝食の時間が2時間違います。身体の大きさや活動量も違うでしょう。一人ひとり、食べたいと思う時間は違って当然です。私たちが自分が食べたい時間に食べられる様にしているのはそのためです。また食事の時間を選べるということは、誰と食べるかを選べることにもなります。仲良しの友だちを誘って食事に行くことが可能になります。一人で食べる孤食を避けるため、幼児は5人揃ってからいただきますをすることになっています。この5人グループを作ることが子どもにとって協調性を育む経験になります。2人組や3人組は比較的作りやすいのですが、5人組となるとそれぞれの思惑もあり、衝突することもしばしばです。
食べたい時間に食べたい友だちとランチルームに来たら、次は配膳です。自分の食べたい分量をカウンターにいる先生に伝えて、自分好みの盛り付けにしてもらいます。大盛りから少なめ、苦手なものを取り除いたり、極端な例ではその品だけ食べないという選択も可能です。配膳する職員はその子にあった分量を把握していますので、その子と言葉を交わしながら提供していきます。
このように調理の様子を感じられる環境作り、食べたい時間に食べたい友だちと食べたい分量をもらうこと、この全ては子どもを主体的に食事に向かわせることがねらいです。毎日毎日繰り返す食事の場面で自分で選ぶ経験を積み重ねています。
次回のこの紙面では配膳後どの様に食事を進めるかについて書かせて頂きたいと思います。
毎日お迎えに来た保護者の多くが給食のサンプルケースを覗いてくださいます。ドレッシングの配合を聞いてくださる方もいらっしゃいます。保護者が子どもの食に高い関心、高い意識を持っていることは私たちの励みです。
以上
2016年6月6日【 ecec on sns 】
昨日ある保護者から保育園のことをもっと知りたいというご要望を戴きました。送迎時に担任と話をしたり、プリントでお知らせをもらう以外に、保育園の目指すところや今の現状、どんな理想や想いを持っているのかなど、もっと本質的な部分を聞きたいという内容でした。そう思う保護者は一人ではないとも言われていました。本当に嬉しいご要望だと有り難く受け止めました。そこで、今後こういった紙面で私の思うところをお伝えしていきたいと思い立ちました。お時間の許す時で結構ですので、お目通し頂ければ幸いです。
第一回は僭越ながら私の自己紹介です。大切なお子様の大切な乳幼児期を託す保育園です。その園長の人となりを知って頂くことも無駄ではないかもしれません。
私は1976年に福岡県大牟田市に生まれました。典型的なサラリーマン家庭で弟と妹の3人兄弟の長男でした。幼少期、私はかなりのいたずらっ子でした。幼稚園から小学校までまるでマンガの様ないいたずらを繰り返し、その度にきつく叱られていましたが、今はこのいたずら心が私に工夫する力や想像力を与えてくれたと思っています。園長になった今、いたずらをする子どもを叱る権利は私にはないと思っています。その後人並みの反抗期と人並みの思春期がありました。くだらない話ですが中高で何度か失恋を経験し、それをこじらせて文学や哲学にのめり込む様になります。そのまま勢い余って哲学部に進学しました。ストイックに哲学を深めるはずが、若気の至りで音楽活動や大学祭運営、塾講師のバイトに明け暮れて学生時代を終えました。卒業後は一般企業に就職し、営業マンとして8年間働きました。結婚し子ども二人授かりますが、深夜残業が常でした。その頃から次第に脱サラを意識にする様になります。社会人としてたくさんの人と出会い、人は生い立ちが大切で、特に乳幼児期の育ちが人生に大きな影響の与えるのではないかと考える様になりました。会社で売上成績を残したことをきっかけに32歳で会社を辞め、無謀にも自分で認可保育園を設立する計画に乗り出します。当然ながら見事に失敗し元手も失うことになります。しかし、保育への夢を捨てきれず、とある勉強会の門を叩きました。菊清会の理事長、伊藤直樹が役員を務める保育環境研究所ギビングツリーという団体です。修行に来いと菊清会に雇い入れて頂き、さくらしんまち保育園の副園長に就きました。私にとって保育園で働くこと、乳幼児教育に携わることは夢でしたから、今は夢の舞台で働いていることになります。
今現在、さくらしんまち保育園はチャレンジングな状況にあります。私自身も山積みの課題を前に身の程を思い知る日々です。しかし私自身は不退転の覚悟です。なぜなら私は夢を生きているからです。これから少しずつさくらしんまち保育園の理想と現実についてお伝えして参りますが、まずは小生の経歴と決意をお知らせすることで所信(初心)表明に替えさせて頂きたいと思います。
以上